DIY大家の覚え書き@TOYAMA

富山にて不動産投資で経済的独立を目指す戦いの記録

聖帝zoomセミナー2020 第三回  感想①「もぎじゅん先生編」

 今回初参加となった聖帝セミナー、zoomで行われることもあって気軽に、手軽に参加できた。クレジットカードさえあれば、パスマーケットで決済。後はzoomをインストールしておき、メールで送られてくるアドレスに飛べばセミナーに参加できる。

 19:00より始まり、休憩を挟みつつ終了したのは0:30近く。

 非常に濃厚な時間だった。参加して良かったと心から言えるし、何故これまで参加をためらっていたのかと後悔するばかりだ。

 このセミナーで得た学びを最大限伝えたい気持ちに溢れているが、ネタバレは厳禁である。そのため各講演については要点に触れるに留める。

 あくまでも私の気付き、思い付き、曲解、戯れ言を書き殴っていきたい。

 今回は一番手の「もぎじゅん先生」編である。

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1.意思決定と結果

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 一番手の、もぎじゅん先生のテーマは「意思決定と結果」

 あらゆる行動には、その結果が伴う。その結果が良い結果となるか、悪い結果となるかは、多くの要素が絡んでくる。意思決定もその一つになり、大抵の場合その割合は大きいだろう。

 しかし、どんなに最良の意思決定を行ったとしても、それを吹き飛ばすほど大きな力が働くことがある。それは「運」だ。運とはあらゆるものに影響を与え、個人ではコントロール不可能な領域にも及ぶ。自然災害や経済動向などは、個人はおろか国単位であってもコントロールは難しくなる。

 私という個人が及ぼせる影響の輪の範囲は非常にちっぽけだ。私がどんな努力を費やしても、少し運が悪い方へ傾いただけで破滅する可能性は常にある。それは天災や事故、病気などありとあらゆることが想定される。普段意識することはないが、その可能性はゼロではない。

 この運によって結果が上振れすることもあれば、下振れすることもある。何ごとも運の影響を受けずにはいられない。ここでもぎじゅん先生が強調していたのが

   結果だけを見て、意思決定の良し悪しを判断する危うさ

であった。

 私は思わず膝を打った。

2.世間は結果しか見ない

 ここからは私の見解が多分に含まれる。

 いわゆる成功者、と呼ばれる人を他人は何をもって判断するか。それは結果だ。どんなことでも過程がいかに素晴らしかろうと、結果が伴わなければ評価はされない。どんなに正しいことを主張している人がいようとも、その人に何の実績もなければ、誰が聞く耳を持つだろう。

 成功者の結果だけにフォーカスすれば、どんな考えに陥るだろう。

 極端な話、宝くじで数十億当てた人間を成功者と定義すればどうなるか。彼の結果は素晴らしいものかもしれないが、そこに至る意思決定は「宝くじを買った」ことである。言うまでもなくこの意思決定に伴う結果を左右するのは、ほぼ運だけだ。

 その宝くじ当選者が成功者としての自叙伝を書いたとして、誰がその本を読み。その考えを参考にしたいと思うのか、ということになる。こんなことは当たり前の話だ。

 しかしここまで単純でなくとも、世にいう成功者の中には「間違った意思決定」をしたにも関わらず、大成功を収めているケースは多いのではないだろうか。どんなに間違った意思決定をしていても、予想もつかない幸運に恵まれ、大成功を収めることはありえる。

 ここで問題なのは成功者として結果を出した後に、その意思決定を検証しようとしても客観的に評価を下すことが不可能に近い、ということだろうか。過去の状況を正確に再現することなどできない。

 人生には常に「運」が付きまとうゲームである。

 どんな意思決定をするにしても、それが成功するか、失敗するかには運が絡む。

 だが自分にコントロール可能な、意思決定において、成功する確率の高い選択肢は必ず存在する。その選択肢は成功率が決して100%にはならない。しかしその選択肢を選び取るための力を磨くことはできる。その方法は……セミナーのネタバレになるので控えるが、語るまでもないだろう。

3.私自身の意思決定への向き合い方 

 自分の普段の意思決定を振り返ってみる。

 

 常に最良の意思決定ができているか。

 いや、そんなことは無理だ。というか、もぎじゅん先生もそんなことを求めているわけではないだろう。

 

 最良の意思決定をするために、日々努力しているか。

 これはイエス、あくまでも自分の未熟な頭で考えうる最良の意思決定をするよう精進している。もちろんその結果が常に最良であった、とは言えないだろうが。

 

 これまでの意思決定に満足しているか。

 大体はイエス。不動産業を志してからを考えると、最初の物件を購入したのが最も大きな意思決定だろう。これまでに購入を後悔したことがないとは言えないが、現時点では買ってよかった、と思える。またそもそも、不動産業を始めよう、という意思決定についても満足している。

 ここで疑問が生じる。なぜ私はその過去の意思決定に満足し、受け入れることができているのか、である。

 

 現在物件は満室状態で、家賃収入も得られているからか。いや単にそれだけではないはずだ。なぜなら物件購入か入居がついて家賃収入が得られるまで、一年と三ヶ月という相当な期間が空いており、やり方によってはこの機会損失の期間をもっと短縮できたからだ。

 現在の自分が物件購入当時に戻ったならば、セルフリフォームの期間をもっと短縮できるので、空室期間を3~4ヶ月程度に縮めることもできるはずだ。つまり当時の自分の意思決定は、最良ではなかったことになるのではないだろうか。

 それはそうだと思う。客観的に判断しても、当時の自分は知識、経験、人脈どれもなし。あったのは行動力と焦りだけ。そんな状態で購入しても効率的な物件の運営などできるわけがなかったのだ。

 それでも何故現在の私が、その意思決定を受け入れることができているのか。

 人生の責任の全てを自分で取る、と決めたからだろうか。確かにその決意はして常に忘れないようにはしている。この理由ならば、多分問題ない。

 ただ、過去の自分の行為を無条件に肯定するような、辛かった過去を美化するようなノスタルジックな思いから来ているのなら、あまり良い考えとは思えない。

 

 数字だけ見れば、私の1号物件の運営は酷いものだろう。

 だが私はそれでもその機会損失より、大きなものを得られたと感じているのだと思う。あの毎日孤独に物件へ通い、非効率なDIYに打ち込んだ日々に価値を感じている。

 他人から見れば「非効率、時間の無駄、愚鈍」何と言われてもしょうがないだろう。

 それでも当時の意思決定を、良しと受け入れられているのは、運が絡んでいなかったこともあるかもしれない。幸いにして、現在のところ物件運営において、予想もつかない不運に襲われてはいない。トラブルが起こっても、私の力量があれば事前に予防できたものばかりだった。

 だから今起こっている結果は、全て自分の責任なのだ、と受けいれることができているのかもしれない。

 ただ今後の課題として「予想もつかない不運」に襲われたときも

   全て自分の責任だ

とその結果を受け入れることができるのか、という点だ。

 大抵の反応的な人間は、その結果を全て他者や環境のせいにしたがる。そうしたところで何も得られないことを理屈では知っているが、いざ自分の身に降りかったとき、自責でものごとを考えられるかは分からない。

 そのためにも、日々意思決定の精度を高める努力を尽くす必要があるのだろう。それが自責マインドのはずだ。

4.おわりに

 思った以上に長々と書いてしまったが、それだけ色々なことを考えさせられる講義だったということだ。後半はほとんどが私の勝手な解釈であり、先生の思いとは異なるかもしれない。

 今回のセミナーをきっかけに、テーマであった意思決定と結果について、明確に言語化をすることができた。もぎじゅん先生には感謝の言葉しかない。今後のセミナーも期待をしたい。

 

 

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